客观日本

日语一级阅读测试9(有答案)

2014年09月11日 日语学习、日语考试

読解実践練習・1 

 

次の文章を読んで、後の問いに答えなさい。答えは、1・2・3・4から最も適当なものを一つ選びなさい。

 

 若いときは二度ないーーと言う。だから、若い時代を大事にせよ、といった意味だある。

 

 なるほど、その通りである。だが、皮肉屋のわたしは、このことばに反論したい。確かに若いときは一度しかないが、中年だって、老年だって一度しかないのである。われわれは若い時代を大事にすべきであるが、同様に中年を大事にすべきであるし、老年を大事にしなければならない。①若い時代だけを特別視する必要はないのである。

 

 私自身は先ごろ、五十三歳になった。昔の呼称だと、もう立派な“老年”である。だから、(注1)ひがんでいっているのではない。わたしは、老年には老年のよさがあると思っている。(中略)人生のそれぞれの段階には、それぞれに違った。②人生のこくがある。わたしはそう思っている。わたしたちはそれぞれの段階に特有な人生の喜びと悲しみを味わいながらいきたい。

 

 (③)、どうして若い時代だけが特別視されるのか!?わたしには不思議だある。思うに、人々は若い時代を準備段階と考えるようだ。若い時にしっかりと学問や体験の蓄積をしておかないと、後になって困る。だから、若いうちから(注2)遊びほうけていてはいけない。と、結局は、若者に自制と禁欲を呼びかけているのである。

 

 でも、わたしは、④それはまちがいだと思う。若い時代に、若い時代に特有の人生の喜び・悲しみを(⑤)、中年や老年になって、その段階での人生の喜び・悲しみが、味わえない。若者はそのことを(注3)銘記すべきである。

 

注1ひがむ:すなおでなくなる

注2遊びほうける:遊びに夢中になる

注3銘記する:忘れないように心に強く残す

 

 

問1①「若い時代だけを特別視する必要はない」とあるが、それはなぜか。

1)若い時は一度しかないから

2)自分が皮肉屋だから 

3)若い時代と同様に、中年、老年も大事だから

4)老年には老年のよさがあるから

 

問2②「人生のこく」とは、ここではどのようなことか。

1)人生の特別さ

2)人生の喜びと悲しみ

3)人生の大切さ

4)人生の準備段階

 

問3(③)の中に入る最も適当な言葉を選びなさい。

1)だからといって

2)それどころか

3)したがって

4)にもかかわらず

 

問4④「それはまちがいだと思う」とあるが、何がまちがいであると思うのか。

1)若いうちから遊びほうけること

2)若い時代にしっかりと学問や体験の蓄積をすること

3)若い時代を準備段階と考えること

4)若者に自制と禁欲を呼びかけること 

 

問5(⑤)に入る言い方はどれか

1)体験しておけば

2)体験しておかないと

3)体験しておいても

4)体験しておかなくても

 

実践練習・2

 

  次の文章を読んで、後の問いに答えなさい。答えは、1・2・3・4から最も適当なものを一つ選びなさいぼくの子どものころは、買い物をするにも、定価の決まっていない買い物が多かった。それで、店の人とうまくなじみになって、買い物のやり取りをする要領が大事なことだった。同じ物を買うにしても、要領が悪くドジだと、高い値段で買わされてしまう。普段からのつきあいだって、買い物のときになって、(①)のだった。

 

 これは、ある意味で、不平等なことであった。同じものを買うのに、相手しだいで値段が変わる。ドジだと、損になる。

 

 いまでは、定価が決まっている。平等に、だれでも同じ値段で、買い物ができる。しかし、時にはそれが、②ちょっと味気ない気がしないでもない。何よりも、要領を身に付けようと、努力することがなくなった。店の人と関係を取り結ぼうと、普段から心がけることがなくなった。平等なかわりに、冷たい関係になってしまった。

 

 なんどかドジをして、だんだんと要領をおぼえていくものでもあった。その意味では、店の人というのは、要領の先生であった。(中略)

 

 値段の交渉をするということは、買い手のほうでも、その値段へ意味を介入することであった。与えられた定価のもとでの、買うか買わないかだけの判断ではない。そして交渉に参加したからには、たとえそれが高い値段であったとしても、それは買い手の責任に属する。つまり、自分の意味で、自分の責任で、値段を判断する余地が残っていたのだ。

 

 このことの逆として、自分で判断し、自分で責任を取る機械は、平等や公正の名のもとに、だんだんと少なくなってきているのではないだろうか。さらにそれが、学校などで、共同で買い物をしたりするものだから、ますます自分から③遠くなっているような気がする。

どんなに平等や公正を保証された社会になっても、終局的に自分を守るのは、自分の判断と自分の責任だ、とぼくは考えている。そして、不平等で不公正だった昔の買い物は、その判断や責任を訓練していたような気もするのだ。

 

 普段からの関係に気をくばり、要領よくふるまうのは、ズルイこととされている。それでは、平等で公正にならない。

 

 にもかかわらず、不平等や不公正のなかで要領よくたちまわるズルサ、そのことの意味を、もう一度、考えなおしてみてもよいのではないだろうか。要領を否定した制度は、人間の関係を信頼しないことで、平等が強制されているような気もするのだ。

 

問1(①)にはどんな言葉が入るか。

1)ものになる

2)ものをいう

3)ものにする

4)ものともしない

 

問2②「ちょっと味気ない気がしないでもない」とあるが、どういう理由からか。

1)不平等で冷たい関係になってしまったから

2)店の人と関係を取り結ばなくてはいけなくなったから

3)要領を身につけようと努力することがなくなったから

4)人間関係で苦労する必要がなくなって、楽になったから

 

問3③「遠くなっている」とあるが、何が「遠くなっている」のか。 

1)要領の先生

2)自分で買い物をする機会

3)平等や公正を保証された社会

4)自分で判断し、自分で責任を取る機会

 

問4筆者は「要領」と言う言葉を、どういう意味で使っているか。

1)物事のいちばん大事な点

2)本能的に身についている能力

3)物事をうまくやるためのコツ

4)苦労や努力をしないでうまくたちまわること

 

問5この文章の内容と合わないものはどれか。

1)要領よくたちまわるズルサもわれわれには必要である。

2)要領よくたちまわることは人間の信頼関係をこわすことになる。

3)どんな世の中でも、自分で判断し自分で責任を取ることが、自分を守ることになる。

4)平等で公正な世の中で、われわれの人間関係はおもしろみのない冷たいものになってきた。<

 

解答与注释

 

実践練習・1 

問(1)3 (2)2 (3)4 (4)4 (5)2

 

実践練習・2

問(1)2 (2)3 (3)4 (4)3 (5)2