客观日本

日语一级阅读测试5(有答案)

2014年09月09日 日语学习、日语考试

人間が環境に適応してうまく生きていくためには、子どもにしろ、学生にしろ、あるいはまた社会人にしても、さらに一家の主婦でも一国の総理大臣でも、自分の置かれた状況を意識し、その中での自身の立場をよく知り、考え、それによって今どのように行動したらよいかを正しく判断することがもとめられます。この場合に動員される精神機能が、知能です。したがって知能には、直感とかひらめきのような瞬間的に心に浮かぶ判断力から、瞬間的にはわからないが長時間熟慮の末にようやく一つの判断にたどりつく心の働きまで含まれることになります。〔①〕、心の働きのみちすじや精神活動の手続きを踏まない本能的行動や動物本来の反射的行動などは。知能とはいえません。たとえとして、②野生のサルが食べ物を探して食べる行動を見てみましょう。 

 

 まず、サルが空腹を覚えることは、動物本来の生理的感覚ですから知能ではありません。しかし、その空腹感によって食べ物を求めようとするとき、どこに食べ物がありそうかと考え、そちらの方向へ移動を始めようとするのはサルなりに判断が働きますから知能でしょう。ところで移動のさい、どの道を都通ったら安全で効果的かの選択は知能によりますが、走ったり歩いたりの筋肉運動自身は、機械的になされますから知能活動とはいえません。〔A〕

 

 ともかくそのようにして、ある物体を目撃し、それが食べ物か否かの判断はサルの知能によります。つまり、サルはその物体を直感的にか仔細にかいずれにせよ観察して、③それがやはり食べ物だと見抜きます。そこで食べ始めるわけですが、元来物を食べる行為は、無防備になることですから、サルは安全に食べられる場所をさがさなければなりません。安全と思われる場所で食べはじめても、不意の外敵に襲われないよう絶えず周囲に気を配っていなければなりません。このような用心は〔④〕。[B]

 

 一方、サルが食べ物をムシャムシャ食べるさい、食べ物をかむことは機械的に行われ、同時に唾液が口中に出てくることも反射によるものですから、知能とはいえません。じゅうぶん噛んでから胃のほうへ飲み込むことも消化管の反射運動ですので知能ではありません。[C]

 

 さて、このようにサルで観察される知能的行動と反射的・本能的行動の絡み合いは、⑤レベルに大きな差はあるものの、人間の場合にも原則として当てはまると思われます。つまり、人間では、サルと比べて知能を必要とする事柄が圧倒的に多いのですが、日常生活が知能と反射・本能によって営まれていることは、サルも人間も共通ではないでしょうか。[D]

 

 動物でもサルよりずっと進化の程度が低くなっていくと、その行動は知能によるものがだんだん減っていき、本能や反射に支配されるものが大部分となってきます。(中略)

 

 端的な例ですが、アメーバの行動は、完全に周囲の状況に対する反射によって怒るのであって、アメーバが、多少であっても知能を働かせて行動することがあるとは考えられません。言い換えれば、アメーバは、知能などなくても生きていかれるし、子孫も栄えているわけです。

 

問1第1段落(人間が環境に・・・含まれることになります。)では何を説明しているか。

1)環境への適応について。

2)知能について。

3)直感について。

4)心の働きについて。

 

問2〔①〕に入れる言葉を次の中から選びなさい。

1)これによって    2)この中で 

3)これについて    4)これに対して

 

問3②「野生のサルが食べ物を探して食べる行動」とあるが、サルが食べ物を探して食べるまでの行動の説明はどこまでか。その終わりの箇所を本文の〔A〕〔B〕〔C〕〔D〕から選びなさい。

1〔A〕2〔B〕3〔C〕4〔D〕

 

問4③「それ」は何をさしているか。

1)その本能 20そのサル 3)その物体 4)その直感

 

問5〔④〕にはどんな文を入れるのが適当か。

1)ちのうとみるべきでしょう。

2)ちのうとはいえないでしょう。

3)サルの行動ではないでしょう。

4)サルにしか見られないでしょう。

 

問6⑤「レベルに大きな差はあるものの」とあるが、これに最も近い内容のものは次のどれか。

1)サルのほうが知能が高いと判断される場合も多くあるが。

2)他の動物は、サルよりずっと進化の程度が低いように見えるが。

3)サルの生活に知能は必要ないので、比べるのは難しいが。

4)知能を必要とする事柄は、サルより人間のほうがはるかに多いが。

 

問7本文の内容から考えて、次のうち〔知能〕と呼べるものはどれか。

1)食べ物を食べたいと思う。

2)食べ物かどうか見抜く。

3)食べ物に近づくとき足を使う。

4)食べ物を口の中で噛む。

 

問8筆者は、人間とサルはどんな点で同じだと言っているか。

1)知能的行動と反射的・本能的行動によって生活しているという点で。

2)食べ物を探して食べるまでの行動がよく似ているという点で。

3)どちらも、他の動物と比べて知能が非常に高いという点で。

4)どちらも、機械的・反射的行動がほとんどないという点で。

 

問題Ⅱ次の文章を読んで、後の問いに答えなさい。答えは、1・2・3・4から最も適切なものを一つ選びなさい。

 

 これは、終戦後間もない頃、①友人から聞いた話である。彼は、だいたいが慎重な運転をする男だったが、ある日のころ、横丁から突然、そば屋の青年が自転車で飛び出してきて、彼の自動車と衝突してしまった。

 

 さいわい青年にけがはなかったが、自転車はメチャメチャ。さっそくおおぜいの人垣ができ、警察官もやってきた。友人が、「私には責任はない。その青年の不注意だ」と主張すると、その話を聞いた警察官は、②とにかく五千円払えば立ち去ってもよい、といったと言う。

 

 友人が、〔ちょっと待ってください。私には落ち度がないのに、なぜ罰金を・・・」と問い返すと、彼は「いや罰金じゃない。青年がかわいそうじゃありませんか」と答えた。その青年はおそらく店にいられなくなるだろう、だからせめてメチャメチャになった自転車の代金の一部だけでも、と警察官は考えたのだろう。

 

 ④悪くすると、これは大きなトラブルになりかねない。友人が根が日本びいきで、日本語も日本人的心情も理解していたから、それ以上の論争にはならなかったが、全く違うことがわかる。この警察官の考え方の中には、正義とか法とか言う理念よりも、極めて日本的な情けや情といったものが深く入り込んでいたのである。

 

 これは、実に人間味のある態度、考え方で、友人の話を聞いた私は⑤大いに感動した。理屈や理性だけで判断を下すのではなく、その前後の事情や個々の状況を参考にして、より人情味に溢れる決定を下すというのは、まさに人道的だと思う。

 

 西洋的な観念に慣らされたものが、このような⑥日本的心情を理解するのは、かなり難しいことであるが、こういった⑦不合理な部分がゆるされるからこそ、日本は世界でも珍しく住みよい、人間のふれ合いのある国でいられるのではないだろうか。これらは、日本人が、みずからの長所として、もっと自覚し、誇りを持ってよいことである。

 

 しかし同時に、こういった情は、なんとも定義しにくいものであり、客観的な法の理念の中に入れることは、なかなか難しい。そして、もしそれを許すなら、しまいには人権をまもることさえできなくなってしまう。

 

問1①〔友人から聞いた話〕の内容に含まれるのは次のどれか。

1)事故でおおぜいの人が死んだ。

2)事故でけがをした人はいない。

3)事故で友人はおおけがをした。

4)事故で自動車が使えなくなった。

問2②「とにかく五千円払えばたち去ってもよい」とあるが、警察官がそういった理由として考えられるのは次のどれか。

1)おおぜいの人が見ていたから。

2)自転車は当時五千円くらいだったから。

3)筆者の友人には責任がないから。

4)青年の立場に同情したから。

 

問3③「問い返す」とあるが、友人はなぜ問い返したのか。

1)自分に罪はないと思ったから。

2)まわりの人々に罪があると思ったから。

3)青年に罪はないと思ったから。

4)警察官に罪があると思ったから。

 

問4④「悪くすると」とあるが、たとえばどういうことか

1)青年がその事故で病気になったりすると。

2)警察官がその青年におかねをあげたりすると。

3)私がそれを他の人に話したりすると。

4)友人がそれを法的に問題にしたりすると。

 

問5⑤「大いに感動した」のはなぜか。

1)青年にはけががなかったから。

2)法と正義の理念が現実されたから。

3)警察官のやり方が人道的だったから。

4)友人がそれ以上論争しなかったから。

 

問6⑥「日本的心情〕について筆者が言いたいことは次のどれか。

1)人道的な面もあるが、自動車事故があると損をする人もいる。 

2)人道的な面もあるが、法の理念とは対立するところがある。

3)人道的な面もあるので、日本の警察官はもっと誇りを持つべきだ。

4)人道的な面もあるので、西洋の法律にも」取り入れるべきだ。

 

問7⑦「不合理な部分」とは、この場合どんなことをいうのか。

1)理屈だけで判断しないこと。

2)罰金が安すぎること。

3)西洋的なほうの考え方に慣れていること。

4)日本が住みやすいこと。

 

問8文中の「友人」について、この文章からわかることは次のどれか。

1)日本語がほとんどわからない。

2)法の理念を勉強しに日本へ来た。

3)日本人の考え方がかなりわかる。

4)事故の後日本がきらいになった。

 

問題Ⅲ次の文章を読んで、後の問いに答えなさい。答えは、1・2・3・4から最も適切なものを一つ選びなさい。

 

(1)人間社会では、第二次世界大戦のころから、科学技術がめざましく進み、生産活動が巨大化し、世界人口は急速に増加した。このことは、人類の繁栄として喜ぶべきことであろうが、反面、各種の公害が大きく浮かび上がり、また、地球は人間社会にとってせまくなってきた。人間活動の巨大化は自然界を変え、それが人間社会にフィード・バックしてくるおそれもでてきた。

 

 そのため、今までの人類の生き方と、これからの生き方では、大きく方針を変える必要が出てきているように思われる。

 

問いこの文章の内容から考えると、どのように「大きく方針をかえる」のが適当か。

1)人間活動の巨大化を制限する。

2)生産活動をより活発にする。

3)自然界をいままで以上に変える。

4)人間の住む場所を拡大する。

 

(2)人はいつ死ぬかという研究をしている外国の社会学者が調査をした結果、誕生日の1ヶ月くらい前からの死亡率が急に下がるが、誕生日がすぎてしばらくすると、また上昇するようだということに気づいた。どうして、誕生日が人の市に関係するのか。この社会学者は、お祝いをしてもらえる日を心待ちにしているのが、延命効果をもつのではないかという解釈を下ろした。医学者はなんというか知らないが、人間にはそういう科学では割り切れないところがあるに違いないと、その話を聞いて勝手に想像したことがある。

 

問い筆者はこの社会学者の意見についてどう思っているか。

1)科学的ではないが、受け入れられる。

2)科学的だが、受け入れられない。

3)科学的ではないので、受け入れられない。

4)科学的なので、受け入れられる。

 

(3)日本は世界でも有数の地震国である。地震と地震予知に対する世の関心もたかい。しかし地震予知は一つ間違えば大変な社会的混乱をまねくことになり、諸刃の剣とも言うべきものである。しかし日本中で直前の地震予知ができるのは今のところ東海地方だけである。純粋に学問的な意味でも、予知できる場所がかぎられている。まして社会に警告を与える形での余地はそう簡単に出いるものではない。行政的な対応がとれぬままに、中途半端な余地情報がもれたときの大混乱は想像に余りある。

 

問い地震予知について筆者がいちばん言いたいことは何か。

1)関心が一番高いのは日本である。 

2)どんなやり方であってもしないほうがよい。

3)正確にできるのは東海地方だけだある。

4)うまくやらないと社会的な混乱をまねく。

(4)一個の製品は、常に、二つの機能を持っているといえます。一つはその製品が、そもそもの目的で使用されるために備えている本来的で実用的な機能です。たとえば、コップ、机、時計、照明、家屋、自動車、橋・・・といったその対象物の名称が示している機能です。その機能は顧客が自由に選べませんので、非選択的機能とも呼ばれています。

 

 もう一つは、より使いやすい、より美しい、より楽しい、より高級な、より好ましいなどといった感情に訴えかける付加価値的な機能です。これを情報的機能といいます。この機能は顧客が自由に選ぶことができますので、選択的機能とも呼ばれています。

 

問いこの文章の内容から言えることは次のどれか。

1)コップに水やジュースを入れて飲むのは、コップの選択的機能である。

2)コップに水やジュースを入れて飲むのは、コップの情報的機能である。

3)コップに花の絵がかいてあるのは、コップの非選択的な機能である。

4)コップに花の絵がかいてあるのは、コップの付加価値的な機能である。

 

(5)つい先日のことだが、アメリカのあるスポーツ指導者が日本の競技者についていっていた言葉を新聞で見て興味を引かれた。日本人はスポーツの上に自分の人生を築いている。出発点に人間がいない。それではだめだというのである。

 

 これは、ほとんどそのままわれわれの音楽にも当てはまる。なぜ音楽をやるのかということを問う前に音楽から出発する。だから、学生のうちは、あるいはコンクールまでは良いが、その先にはつながらない。これだけの音楽の水準を確保しながら、本当の大家が生まれない。

 

問いこの文章で、筆者は何を言いたいのか。

1)音楽をする人も、スポーツをする必要がある。 

2)なぜ音楽をやるのかを始めに考えるべきだ。

3)音楽をスポーツのように考えてはいけない。

4)まず演奏の技術を高めなければならない。

 

(6)ギリシャ時代、人間は精神と肉体の調和した発達を理想とした。機械文明の進んだ現代においては、人間の精神と肉体とはきりはなされてしまった。というよりも、人間自身が自己を喪失させまいとする努力から、心は肉体とは別に自由に飛翔できるように彼みずからが願い、それが可能になった。精神の異常な状態が現代にあっては、かえって正常であり、健康であるわけである。

 

問い「精神の異常な状態」とはこの場合どんな常態か。

1)精神が肉体と調和した状態。

2)人間が自己を喪失した状態。

3)精神が肉体から切り離された状態。

4)精神が自由を失った状態。

 

解答与注释

 

問題Ⅰ:問1-2 問2-4 問3-3 問4-3 問5-1        問6-4 問7-2 問8-1

 

問題Ⅱ:問1-2 問2-4 問3-1 問4-4 問5-3        問6-2 問7-1 問8-3

 

問題Ⅲ:(1)1 (2)1 (3)4 (4)4 (5)2           (6)3

 

≪読解検定≫

 

日本美への賛美

 

川端康成

 

 『会葬の名人』が川端康成の作品で、川端康成は会葬の名人であった。二、三歳で母を、七歳で祖母を、そして十五歳までに、たった一人の姉と、祖父とをことごとく死界に送ったからだ。

 

 川端康成は、1899年6月14日に大阪市北区花町で生まれた。父は医師で医院を開業していたが、谷堂と号し、漢詩、文人画などをたしなんだ。川端家はかなりの旧家で、財産もあったが、祖父に死なれてから、康成はまったくの孤児になった。このような生い立ちは彼の生涯と芸術に決定的な影響を及ぼした。彼の文学はこの少年期に陥った不幸の中から、人間としての自覚と誇りをつかみなおしていく手段であり、過程であったといってよい。「私の孤児は、私について言う論者のすべてが刺す点で、・・・私は論者にさからひはできない。私自身がずいぶんとその感傷にあまえた少年であっただろう」と、彼自身晩年にかいている。

 

 しかし、旧家の長男に生まれたものだか、財政には困らなかった。1917年に中学校卒業後、上京して一高二入学し、三年間の寮生活をした。『私は一高の寮生活が、一二年級の間はひどくいやだった。中学五年の時の寄宿舎と勝手が違ったからでもある。そして私の幼少年時代が残した精神的の病患ばかりが気になって、自分をあわれむ念と自分をいとう念とに堪えられなかった。それで伊豆へ行った。」

 

 伊豆の旅で出会った踊り子の淡い恋を作品化したのは、その初期代表作の『伊豆の踊り子』である。この短篇は、作者の体験に直接基づいている点では私小説といってよいが、この「私」が主人公と言うよりむしろ語り手であり、描写の主眼が題目の示すように「踊り子」におかれている点が、前の時代に見られぬ新しさであった。主人公をこのような自己喪失にみちびいたのは、彼の「孤児の感情」であった。ひがみと甘えの交錯に自分を見失い、考えすぎに疲れた据えた旅に出た青年にとって、素朴な踊り子一家の情熱な好意が回生の糧になった。土の香りのする牧歌的な恋愛が、早熟な自意識に苦しむ青年の救いとして展開される点に、この小説の生命と現代性がある。

 

 だが、「回生の糧」になってもらうために、踊り子は処女でなければならない。作品に次の一節がある。

 

 彼に指さされて、私は川向こうの共同湯のかたを見た。湯気の中に七八人の裸体がぼんやり浮かんでいた。

 

 暗い湯殿の奥から、突然裸の女が走り出してきたかと思うと、脱衣場の突鼻に川岩岸へ飛び降りそうな恰好で立ち、両手をいっぱいに伸ばして何か叫んでいる。手拭もない裸だ。それが踊り子だった。若桐のように足のよく伸びた白い裸身を眺めて、私は心に清水を感じ、ほうっと深い息を吐いてから、こと子と笑った。子どもなんだ。私たちを見つけた喜びで真裸のまま日の光のなかに飛び出し、爪先で精一杯伸び上がるほどに子どもなんだ。私は朗らかな喜びでことことと笑いつづけた。頭が拭われたように澄んてきた。微笑がいつまでもとまらなかった。

 

 踊り子の髪が豊かすぎるので、十七八に見えていたのだ。その上娘盛りのように装わせてあるので、私はとんでもない思い違いをしていたのだ。

 

 踊り子の年齢について思い違えをしていたことがわかった時、主人公の高校生はなぜそれほどまでに烈しい喜びを感じたのか。

 

 たしかに、作品構成のうえからいって、踊り子は子どもでなければならない。踊り子と高校生との関係が密接になるにしたがって、踊り子が肉の匂いを放ちはじめたのでは、温和で郷愁的な伊豆の風物を基調とするこの作品のトーンに8破綻が起こる。旅芸人も、作者の郷愁の世界のための風物である。ということは、伊豆の風物は観光旅行者の眼で見る必要があり、旅芸人はそれに情緒を感じ取ることができる別の世界からの眼で捉える必要がある。

 

 ときに、旅芸人の生活の裏面をのぞかせても、それは「わびしさ」と第三者が情緒的に感じられる範囲を越えてはいけない。