客观日本

日语一级阅读测试2(有答案)

2014年09月05日 日语学习、日语考试

『悪魔』は日本にも存在するのだろうか。日本人にとっての悪魔の概念を、国際日本文化センターの山折哲雄教授(宗教学)に本誌、羽賀神朋子が聞いた。

 

善悪の感覚について、日本には、ユダヤ教やキリスト教の悪魔に相当するものは存在しない。日本にも鬼というものはあるが、これには『悪』の側面と同時に『神』の側面もあり、

 

神はときに鬼の面をかぶって他界からやって来たりする。

 

つまり善とは悪に対立せず、ダブルイメージとしてお互いに融合し互換可能な関係にある。

 

これが日本人の善悪に関する考え方の一つのメルクマールだ。

 

仏教の思想について、仏教では、地獄に堕ちた者でも仏の慈悲により直ち往生できるようにさまざまな救済措置が用意されている。地獄に堕ちた悪魔的な人間が永久に閉じ込められているキリスト教的な考え方とは、この点が大きく異なる。

 

こうした仏教の考えを背景としているため、善悪にあまりこだわるべきでないという考え方が日本人にはある。宗教の極地は善悪を越えたかなたに存在し、善悪はむしろ世俗的な問題だ、というわけだ。善悪にこだわるのは、生き方の本質ではないと考えられてきたのである。

 

そのため日本人には絶対的な悪の観念がなく、根源的に悪を掘り下げ突き詰めていくという思考形態も培われていない。それで子どもに悪魔という名前をつけるような、悪の『遊び化』といった現象も起こる。

 

オウム事件について、オウム真理教のような事件はある意味で、キリスト教やユダヤ教で問題にされてきた『悪』が眼前に現れてきたような出来事だった。事件を機に、日本人は初めて『根源悪』ともいうべきものに直面し、人間の悪の姿に気づきはじめたといえるのではないか。

 

だから今回の事件でも、非常にヒステリックに反応するばかりで、オウム抹殺論のような極端で幼稚な議論しかできない。

 

逆の言い方をすれば日本人はこれまで、そのくらい幸福だったともいえる。そういう人生観を今後ももっていけるなら、それはそれで必ずしも悪いことでない。さらにこうした楽観的な考え方が世界のものになれば、世界全体は平和になるのかもしれない。そうはいないのが現実なのだが。 

 

難しい言葉

 

悪魔:あくま/恶魔,魔鬼

 

ユダイ:犹太

 

懲らしめる:こらしめる/制裁を加えて懲りるようにさせる/惩罚,教训ダブルイメージ:二重の印象/双重印象 慈悲:じひ/慈悲往生:おうじょう この世を去って他の世界に生まれ変わること。特に死後、極楽に生まれる こと。(佛)极乐掘り下げる:ほりさげる /突っ込んで考える。深く究明する。/深挖,深入思考培う:つちかう /能力や性質を養い育てる。育成する。/培养,培育ヒステリック:ヒステリーを起こしているさま。また、興奮して、極度に感情の高まっているさま。/歇斯底里抹殺:まっさつ /人や事実などの存在を否定し、消し去ること。/抹杀,勾消

 

【読解練習】

 

前の文章を読んで、後の問いに答えなさい。下線のある部分にどれを入れるか、1、2、3、4から最も適当なものを一つ選びなさい。

 

1、日本人の感覚からいえば、____________。

 

1)鬼は『悪』である

 

2)鬼は『善』である

 

3)悪魔はかならずしも悪いものではない

 

4)『鬼』は『神』と同じものである

 

2、日本人の善悪に関する考え方と合っているものはどれなのか。

 

1)善と悪をはっきり区別するのは無意味である

 

2)善と悪は対立している

 

3)善と悪は一つになることはできない

4)善と悪は同じものである

 

3、山折哲雄教授からみれば、日本人の善悪に関する考え方はどれなのか。

 

1)世界平和につながるかもしれない

 

2)幼稚なものである

 

3)積極的な面がある

 

4)世界のものになれる

 

4、日本人はオウム事件を___________。

 

1)冷静にとらえている

 

2)きっかけに反省しはじめている

 

3)いろいろ議論してきた

 

4)『鬼』の代表と見ている

 

5、『ユダヤ教やキリスト教の悪魔に相当するものは存在しない』にある『相当』の意味と合っているものはどれなのか。

 

1)お互いに向きあうこと

 

2)相対する関係にあること

 

3)両者の関係がつりあうこと

 

4)両者が『ほぼ』同等の資格や働きを持つこと

 

6、『そうはいかないのが現実なのだが』にある『そはいかない』と一番意味の近いものはど れなのか。

 

1)日本人はこれから幸福になれない。

 

2)これまでの善悪の考え方がこれからもっていけない

 

3)世界のものになれない

 

4)世界全体は平和になれない

 

解答与注释 

 

1(3)  2(1)   3(3)  4(2)   5(4)   6(2) 

 

本期读解1的翻译

 

本杂志的宇贺神朋子采访了国际日本文化研究中心的山折哲雄教授:在日本是否真的存在恶魔。

 

(山折哲雄教授作了如下回答)

 

关于恶魔的感觉--在日本是不存在相当于犹太教或基督教中的恶魔的。

 

在日本虽然有鬼一说,但是在鬼的一说中存在邪恶的一面的同时也存在神的一面,在对人类实行惩罚的同时也会保护人类。比如,在传统艺能或宗教的仪式中,神有的时候就会戴着鬼的面具从他界而来。

 

简言之,善与恶并不是对立的,而是作为双重的身份相互融合,并存于可能转换的关系之中。这是日本人关于善恶的一种思维方式的印记。

 

关于佛教的思想--在佛教中,即使是深陷地狱的人,由于佛的大慈大悲,为使其能够超脱,会有各种各样的拯救方法。在这一点上,其思想与深陷地狱的罪恶之人永世也不得超脱的基督教思想是截然不同的。

 

由于以这样的佛教思想为背景,日本人认为并不应该局限于善与恶,在宗教之极尽处存在着超脱于善恶的彼地,而善恶则只不过是世俗的一种观点。日本人认为仅受限于善恶这种想法并不是生存的本质。

 

正是由于这个原因,在日本人的思维中,并不存在绝对的恶的观念,也并没有追究恶的根源这种思考形态。所以就出现了像给孩子起恶魔名字那样的恶魔游戏这样的现像。

 

关于奥姆事件--像奥姆真理教那样的事件,在某种意义上,出现了犹太教和基督教中的恶魔。以这件事为契机,可以说日本人开始直面应该称之为“根源恶”的事实,开始意识到人类邪恶的一面。

 

所以对于这次事件,全是一些歇斯底里的反应或像奥姆抹杀论那样的极端幼稚的论调。

 

如果换一种说法,也可以说日本人至今都是非常幸福的。如果他们今后也怀有那样的人生观生活下去的话,也未必是件坏事。甚而如果这种乐观的思维方式如果可以成为世界的一种思维方式的话,也许全世界都会和平。但这是不可能的却也是一种现实。