科学技術力の凋落をくい止める策は 阿部日本工学アカデミー会長に聞く

ここ数年、日本の研究力の低下に対する危機意識が科学技術・学術関係者の間に広がりつつある。日本から出る論文数や論文の引用数から見た研究力の低下は、国際情報サービス企業や国際学術出版社のデータベース分析結果がはっきり示している。しかし、研究力低下が日本の将来にもたらす深刻な影響に思いが至らない人たちも政界、官界、産業界、学界には少なくないのではないか。

こうした現状に危機感を強める公益社団法人日本工学アカデミーが阿部博之会長名で緊急提言をまとめた。「わが国の工学と科学技術力の凋落をくい止めるために」と題した緊急提言は、「研究人材の流動化のために退職金制度を廃止し、給与に組み入れる」など、日本社会の長年の慣例を変えるような大きな意識変革を求める提案も多い。

昨年6月に日本工学アカデミー会長に就任した阿部氏は、東北大学総長を経て、日本の科学技術政策の司令塔といえる総合科学技術会議(現 総合科学技術・イノベーション会議)の有識者筆頭議員を2003年1月から4年間務めた。現在、科学技術振興機構(JST)特別顧問。2002年に全米工学アカデミー外国人会員に選任されている。東北大学時代から産学連携にも積極的に取り組んだ。日本の大学、産学連携、科学技術政策の実情に詳しく、近年の日本の科学技術力低迷に対する強い危機意識を持つ。

提言実現のため精力的に政治家や官僚回りを続ける阿部会長に緊急提言の狙いと事態の深刻さなどについて聞いた。

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提言を鶴保庸介内閣府特命担当(科学技術政策)大臣(左から3人目)に手渡した日本工学アカデミーの阿部博之会長(右から3人目)、永野博専務理事(左端)、中村道治理事(左から2人目)=5月29日、内閣府大臣室で

緊急提言「わが国の工学と科学技術力の凋落をくい止めるために」の要旨(6項目)

第一 このような事態を招いた要因を、関係機関が真剣に探求すること

第二 若手研究人材育成のため大学院システムの改革を行うこと。例えば、博士後期課程の学生の学費、研究費、生活費等の費用を大学や大学教員が得る外部資金に組み込み、支給する

第三 大学や公的研究機関が別途の収入を増やすことができるようなインセンティブを積極的に講ずること

第四 研究人材の流動化の実現のため、社会全体の流動性を高めること。例えば、退職金制度を廃止し給与に組み入れる

第五 企業内でのオンザジョブ・トレーニングではない、開かれた職業訓練制度を全国的に充実していくこと

第六 知識基盤の構築を狙う大学と社会経済的な価値を創出する産業が役割の相違を踏まえて共創、協同できるよう、運営交付金や競争的資金のあり方を体系づけること

6項目からなる緊急提言「わが国の工学と科学技術力の凋落をくい止めるために」の要旨をまず、紹介する。第一は、「このような事態を招いた要因を、関係機関が真剣に探求すること」。これは、政界、官界、産業界、学界いずれも現状の深刻さに対する認識が甘いという危機感を表したものと言える。「運営費交付金の継続的な減少、競争的資金の有力大学への集中、任期制若手研究者の増加、成果至上主義によるゆとりの無さなどがあいまって、のびのびと創造的な研究に取り組む環境が失われつつある」と現状を断じている。

第二に挙げられているのは、「若手研究人材育成のため大学院システムの改革を行うこと。例えば、博士後期課程の学生の学費、研究費、生活費等の費用を大学や大学教員が得る外部資金に組み込み、支給する」だ。「高等教育や若手研究人材の育成をおろそかにする国が長期的に発展することはあり得ない」というこれも強い危機意識に基づく。「研究室でのプロジェクトの一端を担う労働力として活用するというような短期的観点からの人材育成と雇用で犠牲になるのは若い世代であり、職業として研究者を選択するインセンティブも働かない」と、大学、大学教授に対する厳しい指摘も目を引く。

続く第三は「大学や公的研究機関が別途の収入を増やすことができるようなインセンティブを積極的に講ずること」。これは政府に対する要請だ。インセンティブを積極的に講ずるに際しては「大学側の経営と教育・研究の責任を分けるとともに、政府は大学や公的研究機関の日常の活動からは距離をおき、欧米のように大学の自主性にゆだねるべきである」と、政府に厳しい注文を突きつけている。

続いて第四は「研究人材の流動化の実現のため、社会全体の流動性を高めること。例えば、退職金制度を廃止し給与に組み入れる」。第五は「企業内でのオンザジョブ・トレーニングではない、開かれた職業訓練制度を全国的に充実していくこと」。そして六番目は「知識基盤の構築を狙う大学と社会経済的な価値を創出する産業が役割の相違を踏まえて共創、協同できるよう、運営交付金や競争的資金のあり方を体系づけること」となっている。

阿部博之日本工学アカデミー会長

阿部博之日本工学アカデミー会長

―今回の提言について、まず、最も基本的と思われる点について伺います。基盤的研究費といえる国立大学運営費交付金と私学助成がこの10年ほど削減され続けてきたことが最大の問題ということは、例えば日本の主要大学11で構成する学術研究懇談会RU11(注)なども指摘しています。これ一つとっても現状を大きく変えるのは難しいと思われますが。(注:北海道、東北、筑波、東京、東京工業、名古屋、京都、大阪、九州の国立9大学と、早稲田、慶應義塾の私立2大学で構成)

財政健全化という国の大方針の下に大学の基盤的研究費は、どんどん削られてきました。基礎的財政収支(プライマリーバランス)の黒字化が必要という考えは財務省を含め根強いものがあります。しかし、最近、経済学者たちの意見を聞くと、必ずしも均衡財政を一日も早くやれという人ばかりではありません。財政健全化はできたが、日本という国が駄目になってしまってはどうしようもない。そう考える人も少なくないということでしょう。財政健全化という理由で、大学の基盤的研究費を抑えるということは、考え直すべきです。

運営費交付金などの公的資金の拡充は必要不可欠で、さらに大学や公的研究機関が容易に別の収入を増やすことができるようなインセンティブを政府が積極的に講ずることが求められます。さらに、政府は大学や公的研究機関の日常の活動から距離を置き、欧米のように大学の自主性に委ねることが大事です。現状は逆で、大学の責任でやれといいながら、例えばある大学が、授業料を増やすことで必要な資金を確保したいというと、文部科学省はほんのちょっぴりしか認めないといったことが行われています。大学側が提案してもこれまでのように「あれは駄目、これも駄目」と押さえつけるようなことばかり政府がしていては、逆効果です。

―限られたいくつかの大学を選定して研究資金を投入するということが目立ちますが。

東京大学だけに手厚く資金を投下しても駄目です。そもそも全国の秀才を集めている東京大学からそれに見合う数のノーベル賞受賞研究者が出ているでしょうか。ノーベル賞受賞に値するような研究成果やイノベーションというのはどこから出てくるか分からないのです。一つの大学に研究資金を集中しても効果は期待できません。ここ30年ほどの間、いろいろな大学改革が行われてきました。政治主導、あるいは文部科学省主導で、これほど改革ばかりやっている国は他にありません。改革をやっても世界の主要国との差はかえって開くばかりです。

一方、大学の側も考えるべきです。国立大学は、文部科学省に言われたことをまじめにやり、文部科学省の方ばかり向いているのが問題です。2004年に国立大学が法人化されたころから顕著になってきたように見えます。大学側が独自に何かやろうとすると、文部科学省に「ノー」と言われることが多くなったせいか、大学の自主性がどんどん減っているのが実態でしょう。

政治家、政府、大学のいずれも国内でしか通用しない論理で動いているのが問題です。例えば、シンガポールの大学が非常によくなったのは、米国の大学のよいところをどんどん取り入れたからといわれています。米国は、特定の大学だけにお金を投入すればよくなるなどとは考えません。よい研究・教育ができる雰囲気を多くの大学につくっていくと同時に、特に若手研究者が将来の夢をもって研究できるようにすることが政府や大学のやるべきことです。

日本の場合、東京大学が改革するのは難しいと考えざるを得ません。国際的な比較では評価は下がっているのに、日本では常に一番だから自分たちは成功していると思っているからです。ただし、東京大学以外の大学は、それぞれ強い危機意識を持っています。本気で改革をやろうと思えばできるはずです。現実は簡単ではなく、特にここ10年ほどで目につくのは「教授会が強すぎるので思うような改革ができない」という国立大学の学長が結構いることです。「教授会の権限を減らしてほしい」などと文部科学省に訴えるような学長は、自ら能力の無さを示しているようなものでしょう。そもそも大学の教授たちが学長の言うことを聞かず一国一城の主のように振る舞うのは日本の大学に限った話ではありません。

私は東北大学総長の時に11の大きい改革をやりました。文部科学省が細かいところまでOKしないと改革に必要な予算をもらえない現実は昔から変わりません。実は11のうち文部科学省の要請によるものは一つだけでした。それなのになぜうまく行ったかというと、文部科学省も大学改革は必要と考えていたにもかかわらず、東北大学以外、改革をしようという大学が見当たらなかった。そうした状況がうまく働いたと思っています。加えて、肝心なことは危機意識を持つ教授たちと危機感を共有することが改革を成功させた理由と考えています。こうした危機感を共有できる教授が、改革をしようとする学部や研究所の教授のうち1割か1割5分くらいいれば改革はできるはずです。

―ロバート・ゲラ―東京大学名誉教授が7月12日付の日経新聞で手厳しい日本の大学批判をしています。ゲラ―氏は、1984年に東京大学の任期なし外国人教員第1号として米カリフォルニア大学から招かれました。以来、今年3月退官するまで助教授、教授として勤め上げましたが「当時も今も、外国人が移籍したいと思う日本の大学はほとんどない。大学運営も世界標準から大きく外れている」と書いています。なぜ米国人から見て日本の大学は魅力がないのでしょう

米国の大学の教授や准教授が日本の大学の教授になりたがらない明確な理由があるのです。一番大きな壁は、日本の大学教授の年金があまりにも国際基準から外れていることです。年金の話をするととたんに米国人は「ノー」です。国立大学の教授は国家公務員の扱いから外し国際的に互換性のある年金制度にしないと、米国の教授や准教授は日本に来てくれません。実際に、1カ月といった短期間の形でしか米国からは教授は呼べません。今回の提言の4番目に「研究人材の流動化」を入れているのは、こうした問題点が多々あるからです。日本は、大学から社会への人の移動に加え、国際的な流動化においても遅れすぎています。

この問題は、同じ4番目の提言中にある「退職金制度を廃止して給与に組み込む」という見直し提言にもつながります。研究者の流動化に日本社会に根付いている退職金制度も大きなネックになっているということです。では、それほど難しいことでしょうか。実際に30年くらい前から、新入社員に従来の給与制度と、退職金分を最初から給与に分割して組み込む新制度を選択させているパナソニックのような日本企業もあります。数年前、同社の副社長だった大学の後輩に確かめたところ、退職金なしという新制度を選択する新入社員が少しずつ増えているという返事でした。日本の企業でもやろうと思えばできるということです。大学も同じようにすればよいのです。

5番目の提言に入れた「開かれた職業訓練制度」も高度な技術者の流動性を高める上でぜひとも必要となるものです。今、東芝が半導体部門を売却しようとしていますが、こうした場合、能力のある技術者が次の職場を探すには、日本社会が開かれていないという問題があります。これまでも日本の企業から高度技術者が中国や韓国に流出したことがありましたね。開かれたハイレベルの職業訓練制度が高度な技術者の流動性を実現するという観点から必要ということです。実際、ドイツではこうした制度が機能しています。

―若手研究者の現在の状況に対する危機意識が、提言から強く感じられますが。

大学はイノベーションの芽を創出することに価値を置かなければいけません。もちろんパンデミックへの対応といった急を要することも大学の任務の一つですが、今は短期的成果を要求することが多すぎます。イノベーションの芽の創出は長期的な取り組みからしか生まれません。教授が大きな研究費を取ってきて若手研究者に短期的な成果を求める研究を求めたら、若手研究者は一分担者になるだけです。すぐに論文が書け、特許がとれるような研究をやらされることになります。教授の研究の一分担者ではなく、もっと創造的な研究ができるような環境に若手研究者をおくべきです。

現実は、教授の下請的な研究をさせられている上、任期付き雇用という不安定な立場に置かれている若手研究者が増えています。人材の流動化に名を借りた若手研究者の短期雇用といった安易な取り組みがはびこり、多くの任期付き雇用の若手研究者・教員が将来のキャリアパスが見えない不安定な毎日を送っているのです。若手研究者の次の職探しや、後期博士課程の大学院生がアルバイトに貴重な時間と労力をとられるようなことをさせてはいけません。解決策の一つとして、後期博士課程の大学院生の学費、研究費、生活費などの費用を大学や大学教員が得る外部資金に組み込み支給するようにできるだけ早くすべきです。

学術的な競争力はもちろんのこと、経済界が期待する真のイノベーションの芽を生み出すのは大学の基礎研究の充実と挑戦的、革新的な研究であって、これを担うのは若い人材以外にありません。学界、産業界は協力して博士を養成し、雇用につなげていく仕組みをつくり上げるべきです。

―イノベーションの芽というのが、重要なキーワードと感じました。「真のイノベーションの芽」といかなるものでしょうか。

長い不況から脱出するにはイノベーションを、という大合唱の下ですでに20年くらいすぎています。政治主導ですと、カンフル注射を打つような科学技術政策になってしまいます。もっと長期的でないとイノベーションの芽は創出できません。またイノベーションと言われている中には、クレイトン・クリステンセン(注)が指摘するような持続的イノベーションと呼ぶべきものが含まれています。真のイノベーションは破壊的イノベーションを指します。日本がこの20年ほどやってきたのは持続的イノベーションだったと言えます。(注: ハーバード・ビジネス・スクール教授。初の著作「イノベーションのジレンマ」で破壊的イノベーションの理論を確立した。イノベーションに特化した経営コンサルティング会社「イノサイト」のほか投資会社の設立者としても知られる)

こういう性能の製品がほしいという現在の顧客の要求に応じられる技術を開発する。これは、持続的イノベーションであり、現在は顧客がゼロの産業を創出するのが破壊的イノベーションと言うこともできるでしょう。イノベーションを実現するのは企業の役割ですが、イノベーションの芽を創出するのは大学です。ただし、研究室の教授がやっている研究テーマを発展させる研究は、イノベーションの芽を創出する基礎研究にはなり得ません。新しい学理に基づく研究こそが、基礎研究と呼べるものです。教育は非常に重要で、大学の教授は若い人材に自分が関係する研究テーマではなく、思想を与えないといけません。

工学教育においても、日本の大学は企業のニーズをきちんと受け止めた教育をしていない、ということが言われます。それはそうかもしれませんが、社会や企業の将来のニーズやそのヒントを生み出すことも大学の仕事です。イノベーションを創出するのは新しい考えを発見する若者でないとできません。偉い先生たちが集まって「こういうテーマが大事だ」などと決めても、それは「Too Late」です。イノベーションもノーベル賞に値するような研究成果も、他の人が気付かないことに挑んで道を切り開いた結果なのですから。政府が偉い先生方を集めて研究助成テーマや人を選ぶというのは発展途上国のやりかたです。

日本の置かれた厳しい状況を改善するために、この提言が活用されることを願っています。

シンポジウムで講演する阿部会長

シンポジウムで講演する阿部会長

インタビュー:小岩井忠道(中国総合研究交流センター) 写真:客観日本編集部


阿部博之(あべ ひろゆき)
氏プロフィール:1936年生まれ。59年東北大学工学部卒業。日本電気株式会社入社(62年まで)、67年東北大学大学院機械工学専攻博士課程修了、工学博士。77年東北大学教授、93年東北大学工学部長・工学研究科長。96年東北大学総長、2002年東北大学名誉教授。03年1月∼07年1月、総合科学技術会議議員。02年には政府の知的財産戦略会議の座長を務め、「知的財産戦略大綱」をまとめる。現在、JST特別顧問。専門は機械工学、材料力学、固体力学。全米工学アカデミー外国人会員。2016年6月から日本工学アカデミー会長。

公益社団法人日本工学アカデミー http://www.eaj.or.jp/
国内外の工学・科学技術政策、教育等に関する調査研究、提言活動や、工学、科学技術の健全な進歩発展に寄与するための教育活動、一般に対する普及、啓発活動の推進などを使命として1987年に設立された。工学関連の研究開発、教育、行政、国際関係・社会経済システム分野で顕著な功績、あるいは産業界での先駆的な事業遂行で顕著な成果を挙げたと認められた会員からなる。現在の会員数は約670人。理系、文系を含めた科学者の代表からなる日本学術会議が政府機関であるのに対し、政府から完全に独立した組織であるのが特徴。活動費は会員の年会費でまかなわれている。(了)